讃岐の爺ちゃん

サポーター歴8年目の爺ちゃんが讃岐の応援観戦記を発信します!

人生いろいろ?

 昨日の馬場選手の大分への移籍は噂はありましたが、いざ、移籍してしまうとショックでしたし、これで、今季、讃岐に在籍していた32名のうち、退団者が13名、契約更新者が13名、未契約更新者が6名になりました。(新加入1名・移籍加入1名)


 未契約者の中にも、いろいろ迷っておられる選手もいると思いますが、出来たら讃岐で一緒に闘って欲しいです。


 また、来季もJ2で闘うのであれば人数がたりませんので、讃岐に移籍してくれる選手はいる筈ですし期待しています。


 馬場選手等退団する方に対して応援する方や誹謗中傷する方がいますが、私は選手及び家族で選んだ選択なので応援したいと思います。(人生は一度ですから)


 私事ですが、先日(12/20)をもって、仕事を辞めて年金生活になりましたが、残りの人生長いので、いろんなことで楽しもうと思っています。(勿論、讃岐の応援も!)


 私は学校を卒業して国鉄(現JR四国)に入社しましたが、馬場選手と同じ年に国鉄の民営化に伴い人員削減があり、若い者(32歳は若くないか、、笑い)は転職を進められました。


 家族と相談して不安でしたが建設省(現国交省)に転職しましたが、やはり、今までしていた仕事とは全く違うし、周りの方々も最初は旧国鉄出身者と見られ大変でした。


 慣れるまでに時間が掛かりましたし、人一倍の努力が必要でしたが家族を養うため及び支えがあり頑張ることが出来ました。
 
 努力した甲斐があって、上司から出向(本四公団)や昇進も進められ、頑張って退職(60歳)まで頑張ろうと思ったのですが、転勤、地元交渉における無理難題、議員さんからの忖度等に耐えられなくなり、心の風邪(鬱)になり、54歳で早期退職しました。


 その後は、若い頃からやりたかった福祉関係の仕事に転職するためヘルパーの資格を取得し転職しましたが、年収は1/5程度でしたが、子供も自立していましたし、家内には迷惑を掛けたし感謝しています。(男性や私のような年配者はいませんでしたが,笑い)


 福祉施設も思ったより人間関係や重労働で、最初は身体障がい者施設で働いていましたが知的障がい者施設に一度転職しました。(体重も国交省時代は80㎏近くありましたが現在は65㎏位に減量出来ました、、笑い)


 私が讃岐のサポーターになったのは精神的にまいっていた頃に、たまたま、生島へ讃岐がJFL時代の試合を見に行ってからです。


 それから、7年になりますが、選手やサポーターが勝利を目指して頑張っている姿に虜になり、また、鳥取でJ2昇格した時の感動は今でも忘れることが出来ません。


 若い方と一緒に精一杯応援することで、心の病もすっかり良くなりサポーターになったことに感謝していますし、今では、家内と一緒にピカスタで応援したり、私の出来ること(ポスター貼り、チラシ配り、Vスタッフ等)で今後も楽しみたいと思っています。


 皆さんも、選手も、これからの人生いろいろあると思いますが、一度の人生ですから楽しみましょう!


 今日は、クリスマスイブイブですが、プレゼントが届くか楽しみです。(還暦過ぎの爺ちゃんですが、、笑い)